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いつかAが迎えにきたときに、穏やかに行けるように生きよう。
いろんな、世界をお持ちですね。 このような存在がいるとして、迎えがきたとき『これまでを生ききった』と穏やかに行きたい。 常日頃、ひとの年齢と、残り時間は関係ないと思っていまして、誰しもあとどれくらい『自分らしく生きられるか』はわからない、残り時間があるのかわからないと思っています。 世界はある種無情で、どんなに素晴らしいひとや、大切に思われるひとであっても、日々大切にいきていても、ある日突然終わりを告げるし,その逆もある。 不平等なのか、世界のなかの人の存在など砂粒のようなものなのか。 わたしは、幸せの青い鳥の童話で、人は皆生まれる前に、神様に箱をもらって下界に来る、という場面があったようにおもうのですが、その箱はそれぞれの寿命や能力、病、いろいろなものが入った箱、なんです。 わたしはなんとなく、それがほんとうにそうなんじゃないかと思っています。 私の箱に何が入っているかわからないけど、その日は明日かもしれないし、何十年先かもしれないしれない。 わたしはAが迎えにきたとき、箱の中身の寿命が尽きたときに、穏やかに行きたいとねがう。 今、大切に感謝して悔いなく生きる以外にない。 …忘れかけていたその気持ちの根本を、思い出させていただきました。 ありがとう。

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