青端佐久彦

上洛軍しゅっぱーつ☆ ということで、四幕②更新完了です。 正直、史実における辺章・韓遂の進路は詳しくわかっていません。 時系列的なものも、大まかにしか記録がなく、例えば、冀県が包囲されたのが何月のことなのかは不明です。ただ、春らしい。 当時の後漢において、春、とは、1~3月を指します。 その後、辺章・韓遂軍は三舖地方に攻め込みます。 この三輔(さんぽ)地方というのが、作中で話していた皇帝の墓が多い地域です。 右扶風、京兆尹、左馮翊の三つの郡を纏めて三輔といいます。 で、その三輔に攻め込むのだとして、冀県を攻めるのは遠回りです。 そもそも、左昌は涼州の刺史。なのにどうして、任地である隴県ではなく、冀県にいたのでしょうか。 左昌が冀県にいた理由。 辺章たちが冀県を攻めた理由。 その二つに対する佐久彦なりの答えが、本文でございます。 もしかしたら、もっとちゃんとした理由がちゃんとした研究によって明らかになってるかもしれません。 もしかしたら、普通に佐久彦が何かを見落としてるかもしれません。 佐久彦三国志における展開は変わりませんが、もし「実はこうなんだよ」っていうのを知ってる人がいましたら、ぜひ教えてくださいませ。 さて。 左昌ですが、濁点をつけて喋るキャラです。 あの、 めちゃくちゃ使い辛い!!!!! もうね。 逆さ喋りのカササギみたいにさ。とっととご退場願いたいのですが、退場したらしたで死国史で登場するという地獄。 故に。 左昌は。 その重要性のわりに。 死の瞬間を描かれない可能性が。 あるかもしれない!!!!! 見直し大変なのよ………。 さて次回は、冀県を包囲する上洛軍。そして、救援要請を受け取る蓋勲。 ってところになると思います。 お楽しみに!!

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