先生が言っていたけれど、宮i崎は本州でないのにくわえ、周りに政令指定都市熊i本やら観光地鹿i児i島やらがあり、(データを通して見ると)名産品も、ほかの九州の県と比べて有名でないため、今回の地震に加え大豪雨はかなりキツかった、のだそう。あれほどの大災害が起きても、あの場所だと復興が難しかったりするらしい。 こういった大災害が起きた時、一番に復興されるのは大きい都市で、どうしても優先されるそう。それでも大きい都市は技術も備蓄もなんでもあるから、【他】と比べれば、なんとかなるらしい。 そうして、一番困るのは小さい都市である。 小さい都市は大都市と比べると、どうしても備蓄量が少ないし、技術だって遅れてしまうところもあるかもしれない。それでも、政府は大きい都市の復興を優先させる。理由は、【そっちのほうが人口が多いから】 幸福論的にいえば、大きい都市を支援したほうが多くの人の生活が回って、多くの人が幸せに――少なくとも、マイナスがゼロにはなるのだろう。だから、税金をそちらに回すのはある意味で正しいのかもしれない。 ていうか、その税金だって、おおくは大都市の人からでているわけで。 一番きついのは、それこそ、小さい都市に住んでいる人だ――否、都市とすらいえないところに住んでいる人かもしれない。その人達は、【都市に住んでいる人の数がすくない】という理由で、ありとあらゆる援助が後回しになる。政府の助けが来るまで、自力で生き延びなければいけないのだ。先生は、言ったのだ、本当に助けるべきなのは、そういった【小さい】場所に住んでいる人達なのではないかと。 民主主義のこの国では、常に大多数が【優先】される。それ故、少数派ほど、援助がなく、支援もないのである。 ただ、少数派であるからというくだらない理由で―― だから、この国は否、民主主義社会では少数派ほど早く消えていってしまうのだ。 つまり、この世の中は、理不尽だって事です。先生はそう締めくくった。 話を聞いて、自分はこのときまでその事を知らなかったこととか、色々考えてしまった。 【誰も取りこぼさない】という理想論はいいけれど、きっと、現実的にだれかを見捨てる必要がある時もあるのかもしれない。南海トラフだって、まだ来ていないのだ。私にも分からない。 もし、その時に【選ぶ】側であるのなら。私は、先生の言葉を頭に留めておきたいなと思ったのだ。

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