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清涼 エーリッヒ
清涼 エーリッヒ
2024/9/15 5:13
イラクの子がかなりの反米だったことが判明して、 自分は面白かったのですが、彼女に私も伝えたいことがありました。 それは日本人は結構イラク思いだったことなんですね。 自分はその一人。あの頃、どうしても911とイラク戦争が、さっぱり結びつかなくて腑に落ちなかったので、 ヨルダンに行ってみたんですね。どうもおかしいよって。 アラブ人実際、何考えているのかなって? イラクって、アラブの中では、わりと?文明がある国なんですよ。 (とかいうと叱られるかもだけど、おそらく他がダメダメすぎるから。) アラビアのロレンスでも言われてた通り、欧米は「The Arab」で結託されるのを恐れていて、メソポタミアはその中心。 あの温厚なエジプシャンみたいな敬虔なムスリム達が、皆がそろって反米とは、考えられなかったんですよ。 そして実際にアンマンとかで街頭インタビューしてたら、 ほぼ反米という人はほぼいなくて、 時々、「はめられた」とか、そういうようにまっとうに感じてる人はいましたが、そんなイスラムの強烈な過激派みたいな人は、町では見つけられなかったんです。 その結果を、適応に英語の大所帯のグループメールに流しておくと、 「君、危険だから、すぐその地域を離れなさい!」という指示が。 いや、ヨルダンだし、イラクじゃないし、なんのこっちゃーとか思いながら、普通に帰国した直後のことです。 香田さん事件がおきました。 ヨルダンでは空港で爆弾騒ぎはあるわ、 首狩り事件はあるわで、 なんだろうなと。 「一般人は中東に来てはダメよ!」 ってことだったんでしょうか。 自分はおそらく関係ないけど、冷や汗かきました。 あの時は、ヨルダンのペトラだけ行って、 シリアのパルミラ行かなかったので、 結局爆破されちゃったし、あーあみたいな。 ダマスカスかは結構美人も多く、 黒い服着たひともあまりいない洗練された町だったので、 あーあ、みたいな感じで、ここまで思ってみてました。 あのころがラストチャンスでしたかね。 ってことで、イラク戦争当時は、 おそらく多くの日本人も興味あったんだけど、 近隣にも行けなくなっちゃったんだよー。 って話したら、彼女は、世の中狂ってるということで、 反米のことを、さらに、まくしたててきたのでした。 自分は、別に「反米」ではないんだけどね。。
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ていくみー
9/15 7:36
そ、それは無事に帰ってこられて良かった……Σ(゚Д゚)
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清涼 エーリッヒ
9/15 9:53
実は公開では書けない危険なこともありましたので、 ご懸念の通りでした。 ・地域有力者は危険なことがある。 ・なるだけオプションを多くする人生をおくる。 ・お金は払う。感謝はお金。 というようなことが重要でした。 自分の幸運と、援助して頂いた方に、感謝しかないですね。。
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歌川ピロシキ
9/15 7:36
湾岸戦争やシリア内戦を通じて行われた欧米露の情報操作のおかげで日本人の中東のイメージは著しく歪んでいますよね。 その反面、日本とはまったく違う社会構造なので、日本の価値観を振りかざしてしまうと幸田さんのような「誰にとっても幸せでは無い」結果を招くことも有り得るのでなかなか難しいのですが。 「反米」についてはおっしゃる通り、あちらの「普通」の人たちもそこまで極端ではありませんね。 ……というより、ムジャヒディンですら極端な「反米」の人はあまり多くないように思います(もっとも、私はシリア北西部の人々しか取材できていないので、アフガニスタンやマリなど他の地域の方々については断言できません)
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清涼 エーリッヒ
9/15 9:52
き、貴重な情報ありがとうございます!かなり日本にもムスリムも浸透してきているので、国家リスクになりつつありますね。彼らも一枚岩ではないので、いかにまっとうなムスリムと仲良くなるのかがキーのような気がします。 おそらくまたの機会でご報告する予定ですが、以前トルコ南東部に行く機会がありましたが、ご懸念の彼らは超反米+CCP崇拝していたので、結構ヤバ目の情勢であると感じております。
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