初音

実はこうだったかもしれない、という説得力がありました
2021年の大河ドラマ『青天を衝け』の序盤で、渋沢栄一たちが「攘夷をしなければ!横浜を焼き討ちだ!」と計画を立てる場面がありました。その時にどこかで見たレビューか何かに「あれが当時の若者の大半の姿だったように思う。とにかく攘夷、外国を追い出せ、という流行のようなものに突き動かされて。新選組の近藤や土方だって、そうだったのではないだろうか」という主旨のことが書いてありました。なるほど、と目から鱗が落ちたのを覚えています。 近藤・土方といえば、「徳川のお膝元で生まれ育ち、徳川贔屓で、武士になりたくて、浪士組の募集に応じた。そして新選組として武士道をつらぬいた」というのが定説のようになっていて、そういう描かれ方をしているフィクション作品も多数あります。 ところがこの作品は上述した渋沢栄一のように、近藤・土方が「攘夷を志すひとりの若者」として描かれ、佐幕派として生きたのも公武一和を目指したがゆえに流れに流れてそうなった、という展開になっています。 論理・流れに破綻がないし、そうなったらそうなるよね、という納得感、説得力がありました。本当は、こういうことだったのかもしれない。この新選組なら、「理由は諸説ある」なんて濁されていた山南、永倉、伊東らと決別することになったいきさつも説明がつくではないかと。なんだかすっきりした思いです(笑) 最後に土方は「士道」のために戦ったのだと言います。それがなぜかとってつけたような哀しみみたいなものを感じさせ、胸が締め付けられました。 新しい新選組像を見せてくださった作者さんに感謝します。素敵な作品をありがとうございました。
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初音さま 素敵なレビューをありがとうございます。
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