出雲黄昏

 かし子さま。  あっちこっちから、失礼します。noteのコメント欄ではオープンすぎて……。よりクローズドなところでお伝えしときたいと思いまして。  少しだけ厳しい意見もお伝えしときたいと思います。半分はファンレターみたいなものですが。  もちろん、かし子さんの作品については素晴らしい物と敬意を払っておりますし、作品の内容についてはお伝えしたとおりです。  ただ、純文学について、やや誤解があるのでは。と感じ、これはかし子さんが大作家さんになったときに恥をかかれてはまずい!というおせっかいと思って聞いて下さい。  本作の中でも表現を研ぎ澄まそうとした痕跡が、書き手としてひしひしと伝わってきました。常に上を目指す姿勢は、見習いたいところです。  ここからが本題ですが、  純文学の定義は曖昧です。ですが、明確に純文学とみなす場合があります。その類の文芸誌に掲載された作品を現代では純文学とみなしています。その最高峰が芥川賞であるのはご存知の通りです。  ではその中身がどうなのか。と問われると、複数の要素があるし、個々によって意見が割れるところです。  芥川と谷崎が論争した純文学に話の「筋」が必要か。という争いもあり、歴代の文豪たちですら意見が割れます。そういった意味で、かし子さんの純文学の認識についてとやかく言うのもお門違いかもしれませんが。おおむね現代の純文学について、あくまで僕の所感をお伝えします。 (文字数制限なので続きます)
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