石亀じだん

『笑顔のある食卓は、幸せの象徴かも』
何か悲しい出だし。何があったのだろうか。 「あの本」とは? でも次ページからは、中学で同級だった人との出会いから結婚、そしてお子さんの誕生と、仕事は忙しそうであったが幸せな日々であったようですが。 それが、お子さんが5年生になった時ですか? ご主人の海外研修ですね。寂しいでしょうが、晴れがましいことでもありますね。 あらら、お子さんが「不登校」ですか。 その理由、原因を自分であるとし、自分で自分を追い詰める。 事態は悪い方向に。 そしてご主人が一時帰国しても、特に解決のないまま再び渡米。 そんなある日に目にした一冊の本。 『不登校児の楽しい食事』ですか。「学校に行くことがゴールではない」か。 『食事に笑い』ですね。 何とも当たり前のことのようにみえる。 でも、何かに悩んでいる人にとっては、そこに灯りがあっても見えない、気づくことができないことかもしれない。 「食卓に笑い」、何でもないことなのかもしれないが、それがあるとないでは、雲泥の差であろう。 人はなくなって初めてそれが大事なことだと分かるものらしい。 当たり前が当たり前でなくなった時に、人は迷い悩むのかも。 切なくなる話も、一冊の本との出会いで忘れていたものをとり戻すことができ、良い方向に向かいました。ラストはほっと安心しました。 とても心温かくなるいいお話でした。
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石亀じだんさま、 拙作『楽しい食卓』を丁寧にお読みいただき、嬉しいご感想をありがとうございます。 今、世の中では 不登校の子供がとても増えています。 私の周囲にもいます。 多くのお母さん達は「私の何がいけなかったんだろう」と悩まれます。 子供が遊ぶ時間がないなんておかしいじゃないか。 そんな風潮の世の中になじんでいけない 子供がいたって不思議じゃないよ。 学校に行けない子供が悪いんじゃない。そのお母さんの育て方が悪かったのでもない。 私自身はそんな風に思っています。 その思いを書いてみたくなりました。 お読みくださって、受け止めてくださってありがとうございました。 これからもどうぞよ
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こんばんは コメントありがとうございます。 そうですか。不登校の子が増えているのですね。 何が原因なのか、よくは分かりませんが、もちろん大人もそうですが、昨今はマンションなんかではお隣にどんな人が住んでいるかも分からないことが多いとか。 子供も学校から帰ってみんなで一緒に遊ぶことが少なくなっていますね。塾やら習い事で。 人間関係が濃いことが一概にはいいこととは言えないのでしょうが、あまりにも希薄になりすぎるのも考えものですね。 誰だって、好きなことは言われなくてもやりますね。 学校が楽しいところとは言えなくても、友だちがいるからということでも違ってくるかも。 確かに、家庭がつまらない
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