FACTS

ジョージ・マクドナルドの「北風のうしろの国」をちょこちょこ読んでいるのですが…。 なんか、すごい。 自然の描写というか、北風の描写がすごい。 長い黒髪を空一面に広げて飛び回る「北風さん」がすげえ迫力だ。 私に画力があれば、絵にしたい。画力ないのが悔しい。 まあ、時々、黒い髪バサァ!な貞子が思い浮かんで、我ながら想像力の貧困さに笑いそうになるけど(笑)。 主人公のダイアモンド少年と、北風さんの話の噛み合わなさがすごい。 でも、子供と人ならざる者の会話だから、それでも案外ちゃんと成立してるのが微笑ましい(笑) 訳は、ひょっとしたらハヤカワ文庫のがいいのかもしれない。 所々、ちょっとひっかかる。 ただ、マクドナルドの「リリス」を読んでいても、「禅問答かよ!」な意味不明会話があったりするので、元々すらすら読めるものじゃないのかもしれないけども。 児童書らしく、説教臭い文面もあるけど、もうどうでもいい。許す。 たったひとつの文章のために、その小説の全てが許せなくなることがあるように、たったひとつの文章のために、その小説の全てを許せることもあるのです。 よくレビューで言われてるような、文法や人称や描写などの技術的なものって、小さい問題だと思うのです、私は。 そりゃ、確かに知らないよりは知っていたほうが遥かにいいですが、それにこだわり過ぎるのも、中身ないのを小手先の技術で誤魔化してる気がして。 プロの作家になりたいとか、もっと自分の文章力を高めたいとか、そういった人には確かに表現技法が必要だと思うのですが、でも、「別に表現技術をひけらかすために小説書いてるわけじゃないんだし」と思ってしまうのです。 自分の書きたいことを、読者に伝えるために表現技法が必要なのであって、表現技法が優れているから傑作なわけではないと思うのです。 本末転倒してないかな、と。 まあ、とは言え、傑作と呼ばれるものは、中身と表現技法の両方が備わってるものが多いんだと思います。 本当は、若いうちは、本や漫画や映画やアニメや音楽や絵画に触れつつ、外で六感をフル活用したほうがいいと思うんです。 知識でガチガチの、大人になってしまう前に。 ちなみに、借りてきた本はの発行年を見ると、まだ私、生まれてない! あるページに、チョコレートかソースか何かをこぼしたようなシミ。 …図書館の児童書にはよくある話です(笑)
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