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最近、色んなコメントに反応しちゃってアカン…。 こっそりひっそり活動がモットーなのに。 しかも、私のコメントは長文。 長文コメントって、送りつけられたほうはビビるし、かつ文章量が多くて目が上滑りする可能性があるから、やらないほうがいいんだろうけど…。 でも、1000文字じゃ足りないのよ~! というわけで、一体どなたが読んでくださっているのかは分からないのですが、このような長文コメントをご覧いただき、ありがとうございます。 「いや、ちょっと足踏み入れちゃっただけで、すぐ出ていきます」 という方、機会がありましたら、またお会いしましょう。 今度は、「物語と小説って何?」と考えておりました。 深く考える必要もないと思うのですが、考えてしまう時期があるのです。 で、ネットで検索して、自分的にしっくりくるのが、 「小説は人間の芸術。物語は神の芸術」 かな、と。 物語は、全ての芸術の根底にあるもののような気がします。 乱暴な言い方をすれば、小説がなくても私はなんとか生きていけるかもしれないけど、物語がなかったら、多分生きていけない。 誤解のないよう申し上げておきますと、私の言う「物語」は「起承転結」「あらすじ」「事件」とかではなくて、ただの「物語」なんです。語れる物、語るべき物、物語そのもの、というか。受動態としての物語。 なんのこっちゃい、と思われるでしょうがが、分かってください、このニュアンス~!(無茶言うな) 人間が芸術に触れて感動するのは、そこに「物語」があるからなんだと思うのです。 小説や漫画や映画は「物語」が分かりやすいかと思います。 が、絵画や写真やイラストを見て感動するのは、何故なんだろう。 それは、それらが「物語」のある瞬間を切り取っているからではないかと私は思うのです。 見る人は、その一瞬の中に、「物語」を感じて感動するのだと思います。 その人の中に蓄積された、記憶や知識などの情報によって。あるいは、それらを感じて受け止める、感受性によって。 人間がいなくなっても、物語は「在る」のだと思います。 たとえ人間が、それを語らなくても。 人間の芸術は、神の芸術である「物語」を具現化する方法なのかも。 あ、ちなみに、ここで言う「神の芸術」は、人間にとって善いものとは限らないです。 主体はあくまで「神」なので。 さて、ちょっとすっきりしたし、「ルシフェル」を更新しよーっと。
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