年越し煎餅

河原ノ者・非人、秀吉 山川出版 これは九州大学の服部氏が執筆した本で、フラッと立ち寄った書店で見付けた。 毎日新聞文学賞を受賞した作品のようだ。 要は豊臣秀吉は非人だよってことだ。 しかし豊臣秀吉が非人であることは昔から言われていた。 史学では豊臣秀吉が豪農説が有力らしいが、この『豪農』って言葉。 上手いニュアンスで誤魔化していた。 ※『豪農』とは江戸時代からの表現である。 刀狩りが行われる前では、農民は武装している。 だから『豪農』=『豪族』である。 この『豪農』の表現で豊臣秀吉が農民なのか武士なのか判断が出来なかった。 もし仮に『豪農』が農民で、それも戦国乱世に武装をしない、搾取され殺されるだけの存在が居たと主張するなら、直ぐにでも学者を辞めてもらいたい。 話がそれてしまったが、服部氏が主張するように豊臣秀吉が非人であった場合、様々な所で影響がある。 現代日本の裏社会をつつくことになる。 (大袈裟ですいません) 私は時間もなかったので目次をパラパラと読んだだけだが、申し訳ないことに購買意欲は沸かなかった。 何故なら、服部氏が書く非人と私の知る非人はイメージが違う為だ。 服部氏のいう非人のイメージは江戸時代に近い。 犬神人や奈良坂非人など頷ける記述も多くあるが、非人の範囲を意図的に狭めていた。 当初、私は本のタイトルを見て、『大丈夫?』と思ったものだ。 週刊朝日の佐野氏ではないが、表現の自由が拡張されたのかと思った。 それならば私も白人と書かずにストリートに非人と書こうかと思った。 しかし少し読んだだけで、この窮屈な表現。 非人秀吉のタイトルは出版社が何も考えていないだけだった。 豊臣秀吉が非人であるなら、親戚縁者の福島正則も加藤清正も非人。 そして……。 服部氏も避けている……も、それを囲う特権環境も……。 豊臣秀吉の非人問題は現代の同和問題とは違う。 そう、違うからこそ大問題なのだ。
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