FACTS

『僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵(こしら)えたい。全く、十七、十八乃至(ないし)二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。』 で始まる、菊池寛氏のエッセイ「小説家たらんとする青年に与う」。 ネット検索したら出てきます(著作権切れ)。 読めば分かるのですが、「本当に作家になろうとする人は」、という前提です。 エッセイが書かれたのが1923年と古いのですが、読んでて「なるほどなあ」と思いました。 「小説を書く前に、先ず、自分の人生観をつくり上げることが大切」と。 で、どうやって自分の人生観をつくるかというと、「自分の考えで人生を見る」 生活を生きて、先人の知識を参考にしつつも、自分で考えろ、と。 それがどんなに小さなものでも、たとえ曲がっていたとしても。 多感な青年時代に、色々な経験をして、本や映画や絵などの芸術に触れて、生活して、苦労して、自分や人生や人間について自問自答して、考えを築き上げていきなさい、ということみたいです。 そうすれば小説なんてもんは、自ずと出来上がってくるから、と。 青年時代までは、感受性も吸収力も集中力も全然違うと思う。 「人生観」というやつが、小説を書く上での、本当の個性、オリジナリティなんだと思います。 この部分だけは、誰にも真似出来ない。 自分の人生を歩んできた、その人のもの。 意識しなくても小説の行間から、滲み出てくるもの。 (だからこそ怖かったりするんだけど。読む人が読んだら、その作者がどういう人物か、何となく分かってしまうから) エッセイには、「本当の小説家になるのに、一番困る人は、二十二三歳で、相当にうまい短篇が書ける人だ。」と書かれてます。 文章が上手くても、そこに人生観がなかったら、何かの小説の、劣化コピーにしかならないのかも。 「上手いんだけど、何か足りないね~」で終わってしまうのかな。 言い方を変えれば、人生観が出来上がっているのなら、十代で作家になるために小説を書いてもいいと思うし、中年を過ぎても人生観が出来上がっていないなら、小説を書いてもただのおままごとになってしまうっていうことでしょう。 そしてその人生観があれば、純文学だろーがエンタメ小説だろーがラノベだろーが携帯小説だろーが何か輝くのだと思います(好き嫌いや売れる・売れないは別として)。 うん。 私自身のことは棚に上げ~。
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同感です。基となる経験とそれに対する考え方というものができてこそ、語ることができるのですから。菊池寛を読んでよかったですね!
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コメント、ありがとうございます。 自分の中でもやもやしていたものが、エッセイを読んでスッキリしました(笑) ただ経験をするだけでもダメで、経験したものを咀嚼して、自分なりに考えて言葉で表す。 その言葉ですら言い尽くせなくて、小説を書くのかな、と思いました。 エッセイで、小さなことでも自分の目で見て考えなさい、といったようなことが書かれていたのが私としては救いでした。 波瀾万丈の人生ではなくても、小説は書けるのだという希望になった気がしたので。 はい、読んでよかったです!

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