入羽瑞己

『ホットケーキどら焼理論』 ホットケーキとどら焼の調理方法がすごく似ているということはご存知だろうか? 違うのは、中にあんこなりクリームなり、『具』を入れるかどうかだけ。 ある日、みんなでどら焼を作ろうと言われた。しかし、みんなの手元には自前の生地の材料しかなかった。 だから、みんなある物だけでなんとかしようと、頑張って生地を仕上げ、それはそれは美味しいホットケーキができたという。そして、その美味しさは万人が認めたという。 会食は賑やかな雰囲気のまま終わりを迎えようとしていた刹那、ある一人の客が『どら焼コンテスト』と書かれた看板を指差して叫んだ。 「このどら焼には『具』が入ってない。これじゃあ、みんなが作ったのはただのホットケーキであって『どら焼コンテスト』っていうタイトルは不適切じゃないか」 和気藹々としていた空気が一瞬で凍りついた。 主催者側が、 「見た目もどら焼。味も、生地に関して完全にどら焼です。作業工程も勿論どら焼のそれです。何がご不満でしょうか」 「でも具が入ってない。具が入ってないどら焼なんて聞いたことがない。こいつはどら焼じゃない。どら焼として評価することはナンセンスだ。『ホットケーキコンテスト』っていうべきだよ」 「ですが、皆『どら焼コンテスト』として楽しんでいますし……」 「出てくるのがどら焼じゃないなら、それは誇張表現も甚だしい」 「でも皆さん、どら焼を作ろうとしてこの場に足を運びました。作ったのもどら焼です。如何せん諸事情で具が用意できなかったのです。だから具の代わりに生地を更に中に詰め込みました」 「そもそも具が用意できないのにどら焼を作ろうとするのが無理だったんじゃないですか? 仕上がっても絶対にどら焼ができないじゃないですか」 二人の問答は延々と続けられる。剣呑な空気を残したままコンテストが終了するまで、その言い合いが終わることはなかった。 さて話は変わるが、どら焼のアイデンティティとは見た目にあるのか、中身にあるのか? 生地(技術)をどら焼の形に練り込んだものをそのままどら焼と呼んでいいのか……それとも、具(基本概念)が込められて初めてどら焼と呼べるのか……。 その点創作は便利だ。神(作者)が始めから全てを与えてくれている。

この投稿に対するコメントはありません