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本乃千頁@皆さまありがとうございます
2013/12/12 0:25
『死』は地球上の全ての生命体に訪れる、この世で最も平等な要素だと思います。 人間が、技術の進歩の代償に支払って来たのは『精神性』や『心』では無いでしょうか。 あらゆる各家庭や、教育機関、警察機構、政府、司法、様々な物が、著しい機能不全をきたして来て居る様にも思えます。 国家の中枢をなす、人間の多くが、精神的機能不全をきたしている証拠とも言えますね。
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にゃんデッド
2013/12/12 18:34
心のゆとりは本当に、どんどん失われて行っていると思います。 まあ、失われる前の時代を知らない若輩者なので、ゆとりをもった社会人の心理状態というものが全く理解できないので何とも言えませんがw 少なくとも私はゆとりがほぼゼロの生活に何かが間違っていると思い詰めて、前職を辞しました。 人と言う資源を限界まで酷使しなければ生き残れない。 これまでの短い人生の中で今の日本社会に受けている印象です。
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本乃千頁@皆さまありがとうございます
2013/12/12 18:53
ゆとりの前は競争社会の時代です。 出生後に授かった個より、能力差の高低さが個だと認識されていた為、能力の優劣が子孫の繁栄に繋がると考えられていました。 比較が常につきまとう社会、この比較を剥ぎ取ってしまったのが現在のゆとり教育ですが、 一見フラットに見えて、個人個人の個にきちんと目が向けられていないのが現状ですね。 他人と比較すると、自分の長所は無いかの様に見えますが、そうとも限ります、他人が自己より勝っているのは、より狭義の分野の世界です。 それで他人と比較する事を止める事は、視野狭窄のように僕は思います。 己を知り、敵を知れば…とはこの事かと。
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