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年越し煎餅
2014/4/22 21:44
スターをありがとうございます♪ (//∇//) 甲陽園……美味しいケーキ屋さんの方ですね 二階のカフェはよく行きました。 目神山(兜山)に在住とは……もしかして本名は宍戸源次郎さんですか?
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長田嘉剛
2014/4/22 21:48
そうですね、宍戸さんやったりして…美味しいツマガリの横のマンションです。本庄町なんで、目神山とは、違います(;^_^A目神!!は、大きな家が多い!!(⌒‐⌒)
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年越し煎餅
2014/4/22 21:56
なるほど信用金庫?の反対側ですか(笑) 地名の目神山はそうですが(笑福亭鶴瓶さんも住んでた)、女神山の中腹に住んでいることには変わりません。 因みに長田さんのマンションから山頂にある神呪寺は、細川高国最後の戦いの折に赤松軍の本陣になりましたね。 長田さんのマンションの500年前は、赤松軍の前備の陣があったのかも?!
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長田嘉剛
2014/4/22 22:19
そうですね、、確かに神呪寺は、細川高国が本陣を構えたと記録に有りました!!もっとも当時の神呪寺は、かなりの坊塔があり、寺社領も、かなりあったとか♪
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年越し煎餅
2014/4/22 22:30
そうです。寺も今より東側へずれています。 そしてこの神呪寺の僧坊には、様々な流派の山伏が居たようですね 鷲林寺もそうですが、御師達の拠点のようです。
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長田嘉剛
2014/4/22 23:08
鷲林寺は、今はかなり、歩かなければ行けないですけど、当時は、神呪寺と並んで要衝立ったのかもっと思ったりします。山城と言えばその機能あったかなっと!!山歩き好きなんであそこら辺良く歩きますけど、なかなかしんどいなぁーっと!! 富松城わ、瓦林城の後方支援の機能あったかな?
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年越し煎餅
2014/4/22 23:30
富松城は薬師寺与一や池田正盛の城だと思いますよ 瓦林氏の城は鷹尾城が詰城ですね。 ただ篠原長房が越水城へ将軍を匿ってからは役割が変わったと思います。
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長田嘉剛
2014/4/22 23:42
富松城は、城跡にいって調べましたが、あまり大きな城でなく、堀も空堀が、二重だったみたいです。近くに城があって二城一城みたいなことを聞きました。薬師寺氏のことは、そこで出て来ました…取られ取ったりの繰返しみたいだったようです。瓦林城は、城と言うよりは居館に近かったようです。近くに武庫川が、流れているの唯一の防御だったのかも知れません。確かに西国街道に睨みを効かす越水城が。できてからは属城的な役割に、なったかも…
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年越し煎餅
2014/4/22 23:52
それは西富松城と東富松城のことですね? 池田本家と池田正盛、そして薬師寺氏は尼ヶ崎・大物の港の収益で争っていましたからね それに大物は、海賊行為をしてまで、商船を大物へ寄港させようとしていましたし、尼ヶ崎は番匠の数が京洛、奈良に次いで多かった。 丹波の木材が多く集まっていたのでしょう。 その為に富松の地は重要だった。 小説でも薬師寺氏が尼ヶ崎・大物を管理し、一文字党を率いる薬師寺与一が巡回している時に宍戸源次郎と出会ったことにしています♪
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長田嘉剛
2014/4/23 0:13
そうですね、東富松城と、西富松城です。さすがに詳しいですね♪(⌒‐⌒)ただ、富松城を、見て要衝ではあるけど、防御的には?です。どちらかと言うと、神呪寺の先方的な城かと
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年越し煎餅
2014/4/23 0:29
富松城を防御に考えていなかったのかもしれません。 元々は富松荘の代官場所では? 尼ヶ崎・大物の代官場所も兼ねていたかもしれません。 だから籠城戦には向きませんね。 そう考えれば、詰城に普段から籠る武将も居ませんし、詰城のような山城へ籠っていれば民の統制は出来ません。 唯一、西富松城と東富松城が同一の領主で各々が独立した曲輪で連携して防備したと考えることも出来ますが……。 代官場所だからこそ、直ぐに廃城になったと考えた方が自然かもしれません。 今夜はここで休ませて貰います。
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