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国香
2017/7/17 22:38
こんばんは。コメントありがとうございました。 横山喜内混同説ですね。 蒲生頼郷がもともと横山喜内だったのが、蒲生郷舎が後年横山喜内を名乗るようになったとかいう???あまりにも謎な話から起きた混同説のようですが。 蒲生氏郷関連の研究本では、関ヶ原で討死にしたのを郷舎とするものは、一つも見たことがありません。どの本でも、それは頼郷としており、かなり昔に出版された本でもそうなので、研究者の間では、昔から頼郷としていたようです。でも、一般には無視されていたのでしょう…… そもそも、郷舎は蒲生郷成の子か弟とされますから、もともとは尾張の坂氏なわけで、後に横山喜内を名乗ったということ自体が誤
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下小阪三太郎 (如水)
2017/7/17 22:44
こんばんはですm(__)m 詳しい、説明、ありがとうございます。 たぶん。 こんなに、ややこしくなったのは、蒲生氏郷さまが、大盤振る舞いで、蒲生の姓と、郷の名前、あげすぎるからいけないのかもしれません(-_-;) ややこしいったらありゃしないっすよ~。 葵徳川三代のジェームス三木さん、ちゃんと調べたのかなぁ~? 説明、ありがとうございましたm(__)m
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国香
2017/7/17 23:04
確か『独眼竜政宗』もジェームス三木さんだったと思いますが、あれには郷舎の父か兄の郷成が出てきたんですよね。けっこう蒲生家にはお詳しいのだと思いますが…… まあ、私が使っていた日本史の教科書にも、確か関ヶ原の西軍の武将の所に蒲生郷舎と書いてあったように記憶しているので、それくらい郷舎が一般的だったんですよ。頼郷としていたのは、蒲生家の研究をしていた本当に蒲生家に詳し過ぎるごく一部の人だけだったのでしょう。
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下小阪三太郎 (如水)
2017/7/17 23:05
度々、ありがとうございますです。m(__)m
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