日本という社会は、とくに感動というものに対して、美談や感動ポルノと言った強制的なものを求めてしまいがちです。 我々は子どもの頃から、知らず知らずのうちに感動的な手紙を強制的に書かされているのです。なにか思い当たることはありませんか? 小説や物語を書く身として思い知らされるのは、どんなに感動的な小説や物語が書けたとしても、それが外部からの強制的なものであればなんの意味もない、ということ。 本来我々が心動かされるべき瞬間というのは、自然の流れの中であり、実生活の一瞬の中です。 我々が文学や芸術に触れ心動かされるのは、それが真に、自らの生活の中に溶け込んでいるから。 私自身、そうやって自ら
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