私はコーヒーカップに口をつけながら、奥にいるカンバラを気にする。彼のテーブル上には、何も置かれていない。食事が終わっていたら、早く出て行ってくれればいいのに。私もさっさと飲んで店を出よう。小説にしおりを挟んで、カバンの中にしまう。  あと一口でコーヒーを飲み終わり、席から立とうとした時。私の目は、彼がつけている腕時計に吸い寄せられた。懐かしい、黒いゴムバンドのデジタル時計。思わず声に出てしまう。 「その時計って──」 「あ、これご存じですか。地味な機種ですけどね。知っている人がいるなんて嬉しいな。映画で出てきますけど、それで知っているんですか?」  私の呼吸は驚きで一瞬止まっていた。再び息を

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