松岡洋右はアメリカのことをよくわかっていて戦争回避に務めたのですが、遂に叶いませんでした。戦後、インタビューに答えて、「アメリカ人と狭い道で出会う。すれ違い不可能。アメリカ人は『どけっ』と殴りかかってくるだろう。その時にすぐに道を譲れば、何度でも理不尽を通してくるだろう。殴り合いになっても自己主張すれば、きっと無二の親友になれるだろう。そういうふうにつきあえばよい」松岡はこの考えでアメリカと向き合ったが、アメリカは最後まで強硬で、そこに計算違いがあったかと思います。
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 コメント頂きありがとうございます!詳しい方がいらっしゃるのではないかと心待ちにしておりました。  確か彼は米国で育っているんですよね。独ソ戦開始と同時に外交の道は閉ざされましたが、日米諒解案の時に、もう少し反応していれば、、という人もいらっしゃいます。
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 アメリカとの交渉への大反対は、元々相当な自信家のところがあり、自分を差し置いて勝手に進めるなという考え方だったようです。  だが結局のところ、松岡の計画は全て失敗したと云えるかと思います。実業家となった息子さんはインタビューで「父はアメリカとの戦争を望んでいた訳では決してない」と語り、「理想が全て破れた可哀想な人だったと思う」と語っています。
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コメントありがとうございます。それですよね。嫌われますよね。。皆さんの説得に失敗したところが、全ての終わりですね。私には松岡さんはとても賢いように見えますので、「また達するもの少なし」ということに帰結するように見えてしまいます。
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