2.距離

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日本での演奏以来、コンサートが終わるとファンレターのチェックをするのが習慣になった。フジモリアヤコからの手紙がないかを確かめるのだ。 実は、僕のコンサートには国を越えて来てくれる人もいる。 海外旅行のツアーパックに僕が含まれていたり、熱心なファンだとニューヨークフィルとブラッキンの組み合わせで聴きたいとか、指揮者は誰が合うとか色々とこだわって、世界中追いかけてくるのだ。 だから日本人がフィラデルフィアやサンフランシスコにいてもおかしくないし、実際にコンサートに来てくれていたりする。 でも、やっぱりアヤコは来ない。期待する方が間違ってる。 遠いからだけではない。演奏家は僕だけではないのだ。この間は僕の演奏に夢中になっていたかもしれないけど、今はもう他を見ているかもしれない。 僕は何をしているんだろうと、また思う。 でも、G社のホームページに彼女の書き込みがあるのを見た時は、小躍りした。 僕のCDに対する感想がたった一行、「素晴らしい演奏でした。ありがとう。アヤコ」と書いてあっただけだが、聴いてくれているんだと安心する。ただ、その書き込みに対しては、僕たちG社の演奏家は返事をできない仕組みになっているのが残念だ。 なので、ルドに「うちもオフィシャルサイトを作ろうよ。」と擦り寄ったら、まず「彼女専用サイトか。」と言い、そして「ネットは色々と面倒だから、事実上無理だな。」と言う。 うーん、ルドは何かを誤解している。 「僕はアヤコに自分の演奏を聴いてもらいたいだけだよ。」 「演奏ねぇー。」 「何?」 「お前はどこまで行ってもヴァイオリニストだなぁって思った。」 意味がわからない。 それにしても、はじめて声に出して「アヤコ」と言った。 もう一度小さな声で「アヤコ」と言ってみる。 うーん、言いにくい名前だな。「アヤ」の方が言いやすい。 「アヤ」にしちゃえ。 なんて、それよりもこうやって感想を書いてもらえるのなら、次の録音も頑張らなくては。 そう思った僕は次の録音、バルトークのヴァイオリン協奏曲の練習にかかった。
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