『友達付き合い』

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 僕もだが、青春という難しい時期を生き抜くには、友の存在が不可欠だ。いやそれは青春に限った事では無く、生きて行く為に必要だと思う。自分で言うのは変だが、僕は友に恵まれていると思う。辛い時期に親以上にありのままの自分をさらけ出せた様な気がする。友とはどんな存在だろう。友というものは一緒に居て楽しい存在である。しかし僕の意見だが、ただ楽しいだけではいけない様な気がする。「同じ釜の飯を食った仲」という言葉があるが、単純に同じご飯を食べた仲を友とは呼べない。苦楽を共にした仲を友と呼ぶのではないかと思う。人間が二人以上集まると、争い事は必ず起こると言って良いと思う。お互いがそれぞれの自我、考えを持っているのだから当たり前である。ただ争いの後、それでもなお分かり合えるのが友であり、その関係が望ましい。僕は友達関係、いわゆる人間関係では悩んだ事が無い。それはなぜなのか考えると、浅い関係の友、簡単に言えばなあなあの関係の友は作らないからだと思う。実際僕の周りには大勢友が居る。さっきも述べた様に良き友である。それはなあなあの関係はしないという僕の考えを分かってくれて、残ってくれた友なのだから、当然なのかもしれない。僕のこの考えはしばしば批判される。なので僕の事を良く思わず、通り過ぎて行った人もたくさん居ると思う。しかし僕はこう考えるのである。そういう人と仲良くしても自分は伸びないだろう。自分を殺してまで友達付き合いはしたくない。そう考えている。僕も勿論孤独は恐い。しかし嫌われたらどうしようと思いながら、笑っている自分の方が、数段嫌なのである。僕は生まれてから今までその考えを貫いてきた。しかし結果はどうであろう。今僕の周りにはかけがえのない最高の友が居る。恐いかもしれないが、自分の事を良く分かってくれる人は必ず居る。残ってくれる人は残ってくれるのだと、思ってみるのも良いのではないだろうか。決してわがままで良いと言っているのでは無い。しかし友達関係や人間関係に悩む人というのは、人の事を思いやり過ぎている、優しい人だと思う。そういう人はもっとわがままで、ありのままで良いのだ。という事を僕は言いたい。その事を最後に付け加えておく。また僕と友とのエピソードがこれから幾つか出てくるので、どんな友なのか知ってもらいたいと思う。
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