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黒い服を纏う青年と視線が交わる。顔には柔和な笑み。両手の買い物を若干揺らしながら近づいてくる。
「ああ、今は引いても開きませんね。鍵をかけていますから……」
耳に届く穏やかな声。立ち位置が青年の進路を妨害しているのに気付いて一歩下がる。
入れ替わるような形で扉の前に立った青年は、買い物袋の輪に右手首を通して、右手をスラックスのポケットへ差し入れた。
ゆっくりと引き出された右手。握られている赤褐色の小さな小物。良く見れば鍵の形をしている。
「そろそろ、買い替えましょうか……」
いい加減買い替えたら?
なんて、考えていた私の耳に青年の声が流れてくる。
私の不意を突いた、青年の独り言。
「え、……あ、はい」
思わず口籠もる。
そんな私を見て微笑を浮かべた青年。手慣れた仕草で解錠し、ノブを引いた。
しかし、開けたまま入ろうとしない。ただ、扉を開けたまま私に微笑を向けている。
お先にどうぞ。と言わんばかりに穏やかに腰を折る。
せっかくだから一息つこう。
無駄に遠回りして脚は軽く悲鳴を上げている。
「……お邪魔します」
軽く一礼して、得体の知れない建物に脚を踏み入れる。
それを笑顔で迎える青年。
中は暗く、周りはよく見えない。
並べられたテーブルや椅子の影がかろうじて確認できる。
「いらっしゃいませ」
数歩進んだ私の背中に、優しげな声が当たった。
青年も建物に入り、支えを無くした扉はゆっくりと閉まる。
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