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『ただいまー』
何事もなかったかのように、その言葉を当たり前に言うから、数時間前の抗争は夢だったんじゃないかと、本気で思った。
響と麒麟の抗争。
別に珍しくない。
麒麟の見慣れない新入り。
アキは気に入ったやつを片っ端から入れていくからこれも珍しくはない。
ヒロトが絡んだだけでこんなにも混乱してしまうものなのか。動揺して、正直勝負どころじゃなかった。
それでも(カナタさんを例外とする)俺たちが負けなかったのは、麒麟のやつらはどこまでも馬鹿だということ。
誰もこれも同じような発言をしたそうだ。
本気を出せ。
動揺したところを狙って倒すことが目的じゃなかったのか、おかしなことを言うもんだと思ってはいたが。まさか揃いも揃って馬鹿だとは思いもしなかったのだ。
そのおかげで、俺たちは無事勝利をおさめることができたのだけれど。
『麒麟抜けたよ?』
あっけらかんとした言葉は余計に俺を混乱させて。
『そういう契約だったの』
わけのわからないことばかり喋って、俺を置き去りにしたまま話を続けるヒロトに不満を持ったのも確かだけれど、もう麒麟じゃないというその一言がどうしても俺を安心させてしまって。
「…ばかヒロト」
急に疲れがどっと来た。
安心して、力が抜けて、忘れていた睡魔が一気に押し寄せてくる。
まどろむ意識の中、見上げた天井に向かって伸ばした手。意味もなく開閉してみれば、なぜだか切ない気持ちになる。
それがなんなのか、俺にはまだ分からない。
それでもアイツが、俺にとってどうでもいい存在ではないということだけは分かった。少なくとも、隣の部屋から物音もなにも聞こえないその環境を、寂しいだなんて思えるくらいには。
「だーいすけちゃん、一緒に寝るー?」
ガチャリと開かれた扉。
頭一つ分くらいの隙間から顔を覗かせたヒロトは、にっこり笑顔で冗談なのか本気なのかよく分からないことを言う。
あいつの部屋にあった枕をその腕に抱えているのを見る限り、わりと本気なんだろう思えば、複雑な心境になってしまった。
「……暑くても文句言わせねぇぞ」
「文句くらいは言わせてー」
俺ストレス溜っちゃうから、なんて。
俺の返事をどう解釈したのかは知らないが、嬉しそうにベッドへと駆け寄ってくるその姿を見て、また微妙な気分になる。
「じゃ、お邪魔しまーす。仲直りの儀式ー」
隣に感じる温もり。
微かに触れた肩。
やがて聞こえてきた規則的な寝息を子守唄代わりに、俺は大人しく目を閉じた。
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