照れますが正面きって青春

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アニメのほうでは、放送の都合上、原作のはじめのほうを膨らませて、飛雄馬の少年時代からリトルリーグ、高校野球と、宿命のライバル花形満との因縁を描き、伴宙太との友情も描いてありますが、原作は、ともかく作者の梶原一騎がはやくプロ野球を描きたくて、それ以前のエピソードなんか適当に流したがっていたために、かなり雑です。 のちに野球まんがで青春といえば、甲子園の高校野球が定番化するのですが、「巨人の星」では、梶原一騎があまり高校野球に興味がなかった事から、星飛雄馬もまた、甲子園で優勝する事にこだわらない、おかしな野球少年になってしまってます。 ひたすら花形満との勝負に全力投球する主人公。 それをささえる伴。 友情もまた、ここでは主人公のためだけにチームメイトが犠牲になる、そんな形で出てきてしまうんですね。 そして、この、大義のために犠牲になるパターンは、その後の野球まんがの友情を描くときのセオリーのひとつになってしまい、残酷な事ですが、現実の高校野球にまで、このセオリーは浸透してしまいます。 ひとりの未来のプロ野球選手を送り出すために、たくさんのチームメイトが、自己犠牲の精神でそれを応援し、見事にプロになったら、わが事のように喜ぶ。たしかに美しい話かも知れませんが、ちょっと、どこかしら不自然です。 そこにドラマを見出だす人は、その感覚のモトのモトに、日本人的な、たとえば忠臣蔵の芝居に出てくる蕎麦屋や芸者のような、または、偉人伝の脇役のような、そんな幻想を思い描いているように思われます。 ひとりのヒーローもそうでない人も、同じ青春を謳歌すべきなのに、そうはならない。 友情も、ひとりのヒーローをささえるための自己犠牲が、もっともポピュラーな形になってしまう。 その元凶(?)は、まんが「巨人の星」にある、という感じがします。
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