25人が本棚に入れています
本棚に追加
元就は不機嫌だった。常から温かみのない顔が、ここ最近では殊更冷えている。好物の餅にすら手をつけず、眉間に二筋ほど谷を設けたまま目を閉じていた。その前におかれた文台には、墨跡も乾ききらない文が彼の花押が捺されるのを健気に待っている。
家臣は元就を恐れて声をかけられずにいた。彼らの主は理不尽な理由から叱責することはなかったが、放たれる威圧感には耐え難いものがある。
元就は暫くそうしていたが、考えが纏まったのか書き上げた文を取り上げ、丁寧に葛折りにし、傍らで縮こまる小姓に渡した。幼い彼はぎこちない動作で受け取ったが、どう扱うべきなのか判断しかねていた。武家の子息なら、花押の無い文など無意味であることをよく知っている。ちらりと元就を窺うと、逡巡する少年に気づき、彼は相変わらず眉根を寄せたまま一瞥した。
「始末しておけ」
簡潔に処置を伝え、また別の紙を一枚文箱から取り出す。小姓は一礼し、慌てた様子でその部屋を後にした。それに最早何の反応も示さずに、元就は白の紙上で筆を滑らせようとする。しかし小姓と入れ替わりに入ってきた家臣により、それは中断せざるを得なかった。
最初のコメントを投稿しよう!