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海辺に佇むたった一軒の美容室。というより辺りには建物など何も無いので、ただぽつん、としているのだが。
それでも開放感溢れる店内には、湿った潮風と穏やかな波の音が唯一のBGMとなっている。
常に曇天の空の光をあてにはできずローライトをふんだんに使用しているおかげで、木目調にあしらわれた店内吹き抜けの建物は穏やかな安心感を醸し出していた。
スタッフは店長の蓮川 真(はすかわ まこと)三十歳と、初級技術者の天川 風香(あまかわ ふうか)二十三歳の二人だけである。
真はこの店を開業させるにあたり、七歳年下の不思議な力を持つ風香を誘った。幾つかの条件を揃えさえすれば彼女を釣るのは簡単である。
『海辺の新築店舗に二階住み込みOK』
この一言で十分だった。勿論、この特殊な美容室においての役割もまた、風香にとっては魅力的な条件のひとつである。
オープンしたばかりの今日は、静かな海の香りを店内いっぱいに取り込む為窓を全開にしていた。湿った潮風は肌に張り付き、風香の頬を綻(ほころ)ばせる。
彼女はクセを生かしたベリーショートの髪を風に任せて無造作にセットすると、勢いよく店内を振り返りフラットな声を高く上げた。
「店長ーっ。やっぱり誰もいませんねーっ」
遠くから風香に呼ばれ、バックルームで書類整理をしていた蓮川 真は何事かと慌てて顔を出す。
「何か言ったか?」
「だからぁ、外は誰もいないって言ったんですよ。ここじゃあお客さん来ないですよね」
「なんだまだ心配してるのか。“ここだから”来るんだよ、多分ね」
「また“多分”ですか? せっかくのオープン記念プレゼントも、余っちゃったら私が頂きますね」
大きな藍色の瞳を悪戯っぽく輝かせて言う風香に真は呆れ返りながら、茶褐色の柔らかな髪を掻き上げ小さな溜め息を吐く。
ここはあの世とこの世の狭間。空はいつも曇天で、季節は無い。
店長の真にとって、初めての独立店舗だ。風香もまた、真に声を掛けられこの店に勤める事となった。
だが開店時間から三時間経った今でも、来客は無い。
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