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風香の先行きを脳裏に考えていたせいか、さすがの自分でさえ気付けなかった失態に、真は慌てて来店した新たなお客様を引き攣る笑顔で迎えた。
というのも、彼は本来“天使”である上に“ここ”の経営者だ。
風が吹く前に実は察知する波調のアンテナを持つ。風香には当然それは無い。
ちらりと扉に視線を向けると、風香は真顔で平静を保っているが藍色の瞳が震えている。
「へえ、こんな所にこんな美容室があったなんてぇ、知らなかったぁー。入っていいのー?」
間延びした話し口調に加え、一見して年の若い女性である。
年齢的に風香と差程変わらないであろうが、風貌はやはり狭間の世界に存在する青白いくすんだ肌。傷んでパサついた長い髪は何とか巻き髪スタイルに留まっっているが、妙に派手さが際立つのはフルメイクの色合いが似合っていないせいだろう。
服装はやや大きく胸元のあいたピンクのロングセーターだが、その下から覗くハーフジーンズが縁取る肢体は肉づきがよく、憐れむ陰りを必要としないかのようである。
真はまずその女をセット面に案内するよう、風香に目で合図を送る。
「あ、お客様、こちらへどうぞ」
なんとか平静を保てる自分自身に安堵しながら案内するも、振り向くと女はそんな事など眼中に無い様子で店内を物色するように見回している。
「へぇ。ウッド系っていうの? 吹き抜けの天井でオシャレじゃん。でもあんまり飾り気が無くてさみしくない? 壁は白くて綺麗だけどさぁ」
「いいえ。開放感を味わえる店内は多くのお客様に満足していただいてますよ、いつも」
――何故そんな大ボラを吹いたのか……風香は自分の言葉に目元を引き攣らせた。
来店客はまだ二人目であり、“いつも”という程長い期間営業しているわけではない。
ちらりとフロントに立つ真を見ると、今にも吹き出しそうな涙目で笑いを堪えていたが肩がぷるぷる震えている。
「お、お客様! こ、こちらの席にどうぞ!」
風香は見栄を張った恥ずかしさに顔を紅潮させ、その勢いで語尾が強くなってしまった。
半ば強制的に指し示された椅子に女はしぶしぶ腰を落とし、巻き髪の毛先を指先で弄りながら言った。
「店長さんに全部お願いしたいんだけど」
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