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内心ホッとしたものの、女の注文はあまりに厳しい要求だった。真はギリギリ笑顔を保ちながら、女の髪に触れて言う。
「えっと、お客様? かなりダメージが……」
「あー、いいからもっとこう流行りのスタイルにしたいのー。アタシの髪ってしっかりしてるからー、何やっても大丈夫なんだけどさぁ、形が崩れてきたんだよねぇー。髪が決まんないと何着てもダサいっていうか、カラーもしたいしぃー」
「――……っなるほど」
(詰まった! 店長が詰まったぁ!)
初めて見る真の固まった姿。遠巻きに見る風香は笑いと驚きを隠せなかった。もちろん声には出さない。が、口元が歪み大きな瞳は爆笑を抑えた為に涙が浮かび目元が痙攣している。
そんな空気を背中に痛い程感じながら、真は言葉を探しひとつの結論にいたる。
「まだお名前聞いてませんでしたね」
「ナナよ」
「ナナ、様ですね? 本名をお願いします」
さらりと言った真の言葉に、ナナと名乗った女は突然息巻いた。
「はあ? 名前なんて何だっていいじゃん! マジ訳分かんないっ。サッサとしてよ!」
目尻を吊り上げた女――ナナに、真は苦笑いを浮かべるもそれ以上名前を追求する事はしなかった。代わりに彼は彼女にひとつの提案を示す。
「ではナナ様。先にシャンプーを致しますが、私は店長なのでアシスタントの子がさせて頂きます。よろしいですか?」
どういう理屈ですかっ、という風香が睨む痛い程の視線と重い空気を感じながらも、彼はナナの心理的作戦に出た。
『私は店長である。だから“下”の仕事はしない。そんな立場の私があなたを担当するのだ』という遠回しな誇示が、悠々にしてナナの虚栄心をくすぐる。
「仕方ないよね、いいわ」
「じゃあ風香くん、お願いします」
返ってくる返事が分かってたかのように素早く風香を振り返ると、予想通り般若の如く彼女の視線は殺気に満ちていた。
……っすまない、というように頭をもたげる彼の仕草に、風香の目尻が吊り上がったままだ。
(あとでぜっったい丸坊主にしてやりますからね!)
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