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まだ誰も来ない中、真は再びバックルームへと引っ込む。が、風香がそれを引き止めた。
「店長ーっ。こんなに暇なら髪切らせて下さいよーっ。せっかく切れ長で垂れ目ってカッコイイのに、髪が肩下まで伸びてみすぼらしいですよ」
「えっ、それは勘弁してくれよ。どうなるか不安だからさぁ。あ、じゃあウィッグで練習していいよ」
人の良さそうな柔らかな声で彼女を窘(たしな)めるが、強引に腕を引っ張られ、否応なしにセット面に座らされた。
高さ百六十センチの楕円の鏡。そこに映るのは、苦笑いを浮かべて白い椅子に腰を落とした真の姿だ。
確かに美容師とは思えない程髪はバサついて、琥珀の目を覆っている。男性にしては透明感のある白い肌には、堅固な意志を主張するかのように整った鼻筋。その下では血色の良い厚い唇が引き締まっていた。
鏡ごしに彼の背後に立つ風香の笑みは、まるで獲物を捕獲したかのような満足感で口元が弧を描く。
愛らしい筈の大きな藍色の瞳が、蠱惑的な性悪女のそれに見えた。
「さあて、私みたいにベリーショートに決めちゃいますか? ……え、わわっ、風が」
ハサミを持とうとした風香は、窓から吹き付ける激しい突風に驚いた。
店内に飾られた観葉植物が耐え切れず落ち、セット面が揺れる。
吹き付ける突風は冷たく、思わず目を閉じる程の風圧だった。店長の真はそれに動じる事は無かったが、バサついた髪は更に進化した。
「あ、止みましたね。何だったんですかね急に……って、店長……」
その先は言葉にならず、彼女は大仰に吹き出す。
だがそれとは対照的に、真は何とか髪を掻き上げ椅子から立ち上がった。
振り返りざま彼は背筋を伸ばし、柔らかな笑顔で店の入口に向かい、ようやく待ちに待った言葉を声高に言う。
「『†TRUTH†』へようこそ。いらっしゃいませ」
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