398人が本棚に入れています
本棚に追加
「短く……短く……切って」
呪文のように繰り返し言う長い髪の女性客は、顔を上げて鏡を見る事もない。
鉛のような空気を醸しながら、女性客は店長の真がどうするのか待っているようにも見えた。
「風香くん。カットクロス」
「あ、はい!」
一種異様な空気に息を飲んで見守っていた風香は、店長の一言でようやく反応した。
当然の事なのに、用意が遅れた自分を内心叱咤する。
風香は女性客の斜め前からカットクロスを優しく掛けるものの、失礼しますという掛け声が小さく震える。
なぜなら、膝の上に乗せた青白い腕が肩まで露出しており、見るに耐えない恐怖感を煽られたせいもある。
途中までクロスを掛けると後は真がその手を引き継ぎ、風香は逃げるように身を引いた。あとは真に任せればいいだけなので、彼女は壁際の斜め後ろに下がり背筋を伸ばして待機する。
緊張が取れたのか、小さな溜め息が零れる。
すると真は鏡ごしに視線を合わせ、含み笑いを浮かべた。どうやら風香の気持ちを読み取っているようだ。
真は鏡ごしに女性客へと視線を移し、柔らかな声で話し掛けた。
「では、どのへんまで切りますか? 思いきってスタイルチェンジします?」
「……いえ、肩まで……で」
「わかりました。今のスタイルで肩まで、となるとボブですね」
それに対し返事は無く、真は飄々とワゴンに引っ掛けてある青い水スプレーを取ると、女性客の髪を濡らした。
風香は唇を引き締めながら、未だ俯いたままの女性客を鏡ごしに見つめている。
(店長……何とも思わないのかな)
まるで、自分一人が異様なものを目の当たりにしてるのかと錯覚を起こす程、真は冷静で柔らかな対応を崩さなかった。
最初のコメントを投稿しよう!