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だが真のカットが始まった時それは、風香が正常である事を示してくれた。真が女性客の襟足の髪をスライスし、ハサミを入れた刹那の事だった。
――数秒経たず、切った筈の髪が再び元の長さまで伸びてきたのである。
切っても切っても、それが止む事は無かった。その様子に真も小さな溜め息を零したかと思うと、彼はフッと口元を綻ばせた。
真は開き直ったように、鏡ごしに柔らかな笑みを見せて声を掛ける。
「お客様。もう何年になりますか?」
「……分からない。分からないわ」
これには壁際に立つ風香も驚いたのか、ただでさえ大きな瞳をさらに見開く。
(どういう事? 店長には何か分かるの? 今まで……こんなの、見た事ないよ)
小刻みに震え出した手をギュッと握り、風香は自分が今まで経験した仕事内容を思い返していた。
彼女が以前働いていた所では、お客様の誰もが輝いていた。
エレガントだとかそういう類いでは無い。魂が輝いていたのだ。そのせいか、美容師の頭を悩ませる事なく思うがままにスタイルが決まっていった。
風香はその手さばきに魅了され、自分もいつか思った通りのスタイルを提供し相手を喜ばせたいと思ったものだ。
だが、今はどうだろう。
その頃一緒に働いていた真が独立したいという声に、風香は新たな扉を開ける夢への一歩を感じたのは事実だった。ましてや、海辺に佇む二階建ての住み込みという好条件に心躍らされるのも無理はない。
(もしかして私……とんでもない選択しちゃった?)
それでも風香は、真が独立する為の意図を知って納得した上で来ている。ただリアル感に欠けていたのかもしれない。よくある事だ。
“思っていたのと違う”――。
風香の戸惑いはそれと大差無いであろう。内心狼狽の奔走が始まり出したその時、女性客がゆっくり顔を上げた。
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