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(――ひっ!)
風香は驚きを抑えた。お客様に向かって失礼な発言は絶対NGだ。
それが身に染みこんでいるおかげで、声に出す事は無かったが、藍色の瞳は嘘をつけない。
鏡ごしに映った女性客の顔は全面青紫に澱み、異常に落ち窪んだ双眸は狂気を宿した赤く細い目。頬はこけ落ち、もはや骨と皮になっていた。窪んだ影は青紫を通りこし、黒くくすんでさえ見える。
なのに、唇だけが何かを訴えんばかりに赤く艶やかであった。
女性客は、己の姿が鏡に映っているのを見て恐れるように再び俯く。
「わ……たし、いつまで……こんな姿……なの? 綺麗で……いたいのに」
「何か、心に残ってる事はありませんか?」
柔和な笑顔を崩す事なく、真は女性客に問う。 優しい手つきで、濡らした艶の無い黒髪にカットコームを滑らせる。彼はコーミングしながら、彼女の暗く低い声に耳を澄ました。
「心に……残る、事なんて……」
女性客はそこまで言うと、再びゆっくり顔を上げた。赤く細い目で、己を映している筈の鏡を睨み付けた時、鏡面が歪み出した。
「えっ、て、店長」
「風香くん。いいから見てて」
やんわりと制止された風香の表情が、戸惑いの色を濃くする。
だが、真の落ち着いた姿にその場を任せるしかないと判断したのか、風香はお腹の前で両手をぎゅっと握り自分を抑えた。
怖いと思いながらも事の成り行きを見守る。今の自分には、ただただ凝視することしかできないのだから。
カップに注がれたコーヒーの中へミルクを落としたかのように歪む鏡面が、徐々に何かを映し出す。
それは、女性客の言葉に合わせるように場面が移り変わっていった。
「彼が……カズマが、私を……裏切った。私より、あの女を……選んだ」
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