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東京という街は不思議な所だ。
場所によって、ある匂いのような雰囲気がある。
私は東京の、武蔵野という場所が好きだ。
武蔵野にも、色々な街があるが、初めて、三鷹を訪れたとき、自分になじむ、空気を感じた。
三鷹にはまだ、武蔵野の面影がある。
街路樹の木々は、人工的ではない。
生々しい、黒々とした巨木が、普通に街路樹として、群れを成している。
場所にもよるが。
武蔵野の街角には、まだ、畑や木々が残されているのだ。
睡眠薬代わりに読んだ、国木田独歩「武蔵野」。
失われた、明治の頃の武蔵野の自然風景が、詩情あふれる文体で綴られている。
今はコンクリートが縦横に張り詰めている武蔵野は、かつては、林や原野だったのだ。
国木田独歩は当時、渋谷に住んでいて、そこから武蔵野に出かけ、散策していた。
彼が住んでいた渋谷も、当時は、渋谷村だった。
もう二度と、武蔵野も渋谷村も戻ってこない。
現代の人は、失われた武蔵野を思いながら、読むしかない。
独歩のように毎日、林や原野を訪ね歩く、日本人も、最早存在しない。
何もかも、便利になってしまった今、失われたものの大きさに呆然とした。
もし国木田独歩が現代に生きていたら、この時代に到底なじめなかっただろうし、彼の文学的資質が開花することもなかったかもしれない。
読んでいるうちに、損得を追いかける生き方を強いられがちな現代に、気づかされた。
今の時代を、生きにくいと思っている人は、私だけではないだろう。
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