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「…………」
周囲に見えるは鬱蒼と茂る樹海。樹海に囲まれた美しき蒼白い館。まるでそれは、紅館を思わせる。
霧雨が館の屋根に降り注ぐ。
窓から漏れる蛍光灯の光。それは人の存在を肯定している。
「おや? どなたですかいな?」
ふいに嗄れた声が響く。声の主は傘を差しながら目をぱちぱちと動かしている。皺くちゃな手は小刻みに震えている。
「あ、」
その男はどう答えていいかわからないようで、何か言いたそうにしているが、それが声になることはない。
「ここは碧蒼館当主、葵画伯の私有地ですぞ? わかっておいでですか?」
「へきそうかん?」
「左様、用がないならさっさと去れ。居候(イソウロウ)する気なら警備員を呼ぶぞ?」
それだけ言って老婆は翻す。猫背なのでかなり小さく見える。
「あ、あの……」
「…………」
老婆は鋭い視線を男に送る。男はその視線を弾き返すように言い放った。
「僕には、帰る場所がありません……。お願いです! 僕を置いてくれませんか」
老婆は少し鼻で笑って……。
「ふ、その歳で家がないと? 随分と苦労したようじゃな。じゃが世の中そんなに甘くなか、それなりに働いてもらうぞ? 覚悟はあるんじゃろな?」
「は、はい!」
霧雨で相手を見ることは困難だが、男の意志は老婆に伝わったようだ。
「ついてくるがよい」
“誰かさん”は劇場入りした。
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