・続く違和感、涙

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リビングに入った僕はほとんど無意識に 「…母さん?」 と声を出した。 自分の声がまるで他人の声のように聞こえた。 誰かがテーブルに肘をつき、両手を額に当てていた。 良く見えないが、おそらく母だろう。 眠っているのだろうか… それとも… 心配になった僕は一歩一歩確かめるようにテーブルに近づき、 母の肩に手をかけた。 すると母は驚き、僕を見て 「どうしたの?」 と聞いた。 やはり眠っていただけだったようだ。 安心して力の抜けた僕は大きくため息をついて母とはテーブルを挟んで向かい合わせになる位置のソファにドサッと座った。 ぐるりと部屋を見渡したが、リビングはそんなに変わっていないようだ。 どことなく雰囲気は違う感じはするが、僕や弟の部屋程ではない。 僕は口を開いた。 「どうしたの、じゃねーよ。母さんこそどうした?」 僕は続けた。 「つーか僚は仕事? 部屋どうしたの? 何で俺の部屋にテレビがあんの?」 …母は固まっていた。 質問には答えず、僕を見ていた。 そして静かに泣き出した。 母が泣くのを見たのは三度目だった。 僕は意味がわからず呆然としてしまった。 上手く想像力を働かせることも出来なかったし、何の余裕もなかった。弟はどうしたのか、 部屋は何故変わっているのか、今は母が泣き止むのを待つしかなかった。 母は必ず何かを知っているはずだった。 それは反応でわかる。 僕はもう一度部屋をぐるりと見渡してみた。 仏壇の父の写真はいつも通りだし、 部屋の配置も変わっていない。 しかしこの違和感はなんだろう… すっきりしない僕の霞んだ目に電話の上のカレンダーが映った。 先月引っ越した妹が置いていった小犬のカレンダー。 四月。 間違っていない。 しかし何かがおかしい。 すぐに気付いた。 犬の写真が違う。 三匹のビーグル犬だったはずだ。 写真には草原からこちらを見ている立派なゴールデンレトリバーが写っていた。 視線を少しずらした時…僕は本能的に、青ざめた。 …泣き続ける母を見ながら 想像し、混乱し、また想像した。 しかし理解はできなかったし、したくなかった。 それでも体はフラフラと洗面台に向かった。 鏡を見た瞬間、僕の中で何かが音もなく崩れた。 そこには髭を生やした僕がいた。 頬は痩せこけ、 白かった肌は黒く日焼けしていた。 『平成24年・西暦2012年』 カレンダーの年号は五年後だった。
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