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急に足が動かなくなった。走っている途中だったので、私はそのままなんとかゴールを目指した。レース後、すぐに治療を受けて、診断結果が出た。怪我名は肉離れだった。これから私の苦悩の日々が始まった。 中高と陸上を続けているが、今まで怪我をしたことがなかった。だから、焦りと不安が胸中に入り混じりながらも、どこか楽観視している部分もあった。いつか治るだろう。しかし、そんな考えは甘く、足の様態が不安定な状態で練習を続けるので、なかなか治らなかった。部活内では一番速く、エースの座を守り続けてきたが、一気に転落した。チームメイトが良い記録を出す度に、歯を食いしばり、悔しさに耐えた。しかし、怪我は高校最後のインターハイまでもつれ込んでしまった。発症から約一年。その間、大会に出るものの、イマイチな結果に終わり、リレーメンバーのスタメンからも外されていた。 個人種目までもが、大阪インターハイで無惨にも散り、残るはリレー種目のみになっていた。幸いにも、リレー種目には足が完治し、万全の状態で臨むことが出来た。私のいない間、代役を務めたキャプテンにとって、私は目の上のたんこぶであったと思う。しかし、彼は私たちリレーメンバーを上手くまとめて、励ました。この時、彼の心の広さが垣間見れた気がした。いざ本番を迎えるが、正直万全の状態でも勝てる気がしなかった。なぜなら、大阪の短距離はハイレベルであり、私たちのリレーの記録であれば、他県では近畿大会に出場出来るくらいだからだ。予選での結果は全体で九位。準決勝では見事な走りを見せたものの、組で二位だった。決勝は八チーム。危うい位置にいた。しかし、電光掲示板に私たちの高校の名前が表示されたとき、一人でいたにもかかわらず、「やった!」と叫んだ。胸の中に溜まっていたわだかまりが一気に弾けた瞬間であった。決勝では、結果八位だったが怪我を克服して、決勝で走れたこと、それが何よりも嬉しかった。悔しさをバネに頑張った成果が表れたような気がした。私の中で忘れもしない思い出である。
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