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里神楽八雲は早朝5時に目を覚ますと、手早く顔を洗って制服の袖に手を通した。
下ろし立てのそれはまだ嗅ぎ慣れない新しい匂いがして、なんだが着心地が悪い。つい先月まで着ていた中学の学ランと大差ないはずなのに、この違和感はなんだろう。八雲は苦笑いを浮かべる。朝の儀式はもう何年も繰り返している。これからもずっと変わらないのに、今日はなんだかむず痒い。今日は八雲の高校の、入学式だった。
朝食は後回しに、ぞうきんとバケツにお神酒、生米に塩を取って外へ出た。
春の匂いのする暖かな風が吹く。空は絵具の青より青い空だった。いわゆる、入学式日和だろう。しかし八雲の向かった先は、淡く桜色に華やぐ春の雰囲気から遠く対極に位置するとも言えるような、暗く陰鬱な林の中だった。
普通の人間であれば踏み出すのを躊躇するような参道を八雲は馴れた様子で先に進む。時折女の悲鳴のような鳥の声が響き渡る。まるで林の中一帯だけが、春から取り残されたようだ。苔の生えた玉砂利に足をとられながら八雲が行き着いた先は、古びた神社だった。
「ご苦労なこった、わざわざこんな日にまで」
耳障りな声が木霊する。しかし姿はどこにも見当たらない。
八雲はやはり馴れた様子で牙の欠けた狛犬の間を通って幣殿に寄り、壊れた賽銭箱の隣に水の入ったバケツを置いて、中にぞうきんを放りこんだ。
「別にこっちゃあ、てめぇにそんなことしろなんて頼んじゃいねぇんだ。人間が此処に来んのもうんざりなんだぜ」
耳障りな皮肉は続く。八雲はため息をつきながら雑巾を絞り、木板を拭きながらようやく言葉を吐いた。
「よく言うよ、俺でも来なきゃオマエ、とっくに消えちゃってんだぞ」
刹那、バサッと風を切る音がして矢のように八雲の足元に黒い何かが突き刺さる。同時にひらひらと桜の花びらのように、しかし禍々しく黒い羽が散った。
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