112人が本棚に入れています
本棚に追加
顔に、何かが当たった。
男の拳だ。
その途端、口の中に広がるどろり、とした感触。
鉄の味。
(やばい…これは死ぬかな。)
そう思った瞬間、強い恐怖に襲われた。
もう、自分はまともに生きる事はできないと諦めていた。
村人に迫害された時も、見世物小屋に売られた時も、殴られた時も。
一度も怖くはなかった。
何も感じないのだから。
故に抵抗する事もなく、なるがままにしてきた。
だが、初めて死の恐怖に直面した今、
「生きたい」
と思っている。
今更ながらこんな感情が湧いてくるなんて、可笑しくて仕方がなかった。
いつの間にか泣いていたようで、それも可笑しく口許が歪んだ。
「何がおかしいんや。」
男は、自分が笑われていると勘違いし、逆上し始めた。
「大人しく殴られてればよかったんになぁ。」
にやり、と笑うと女の首に手を掛けた。
「こうするとなあ、締まってよくなるんや。」
苦しい、苦しい。
男の指が首に食い込み、ギリギリ、と圧迫する。
涙が出てきて視界が歪み、思うのはただ一つ。
死にたくない、生きたい。
…―生きたい。
最初のコメントを投稿しよう!