終わりと始まり

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「じゃあね、マルコ君っ」 黒野さんは笑顔で手を振ると踵を返し、教室を出ようと足をオレの方とは逆方向に進めている。それと同時にオレは黒野さんを呼んでしまう。 「黒野さ…ん!」 オレの呼び声は彼女の体をぴたりと止める。急に呼び止められた事でピンと伸びた背中はしばらくその姿勢を保っていたがいつもの表情が振り返ってきた。何と話してよいのやら上手く言葉となって出てこない。 「え…いや、その」 「どうしたの?」 「えぇっと…」 オレの顔を下から覗くような形で見てくる黒野さんを前に思考回路が全停止してしまう。何でもいいから言葉よ、出ろと祈るがやっぱり出てくれない。そんなオレを見て黒野さんはどう思ったのだろう。 「エヘヘ」 頬にえくぼを作って子供のように笑ってくれた。胸を撃ち抜かれる感触が通り抜ける。撃ち抜かれるとは物騒な物言いだがとても心地のよい感覚だ。この思いが喉から出てしまう所だった。この思いに対する彼女の答えを聞くのが怖くなったオレは別の言葉を紡いだ。 「く…黒野さんが困ったたたたたァ時はその時はオレが黒野さんを守るから!」 これ告ってんじゃね?若干の後悔と興奮を胸に押さえ黒野さんの反応を待った。しかし光の速さで後悔した。 彼女は何も言わなかったのだ。まるで別人のようにその瞳はいつもの明るみを消し去り、哀しみに満ちていた。教室の窓のカーテンが激しく踊るような突風がちょうど吹いたその時、黒野さんの小さな口が僅かに動いたが耳をかすめる風の音に声はかき消されてしまった。 それは一瞬の出来事。舞い上がったホコリが目をつついた時、片目で見据える景色の向こうではいつもの笑顔に戻った黒野さんが言った。 「ありがと、マルコ君っ」 更に舞い上がるホコリのせいで両目をきつく塞がれてしまい、黒野さんの姿を見失ってしまう。この時ばかりは今まで掃除をサボってきた自分を恨んだ。 両目を振るった後、一人ポツンと教室に残るオレの心と体は虚しさに包まれていた。そんな何もない空間で先程のオレの思いは未だに喉から出てしまおうとしている。 そう、聞いてはいけない…考えてはいけないと頭で解っていても未だに気になっている。 今、着ている制服の裏地に不器用にも書き殴られた鮫島という文字と、不自然に陥没した第三ボタンが…。
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