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子どもが産まれたからって、親になれる訳じゃない。
色々な経験を経て、子どもに親としての自覚を与えられて行く様な気がする。
私は近所付き合いはちゃんとしていた。
隣組とかあったし、小さな子どものいる家庭が結構あったから。
でも、みんな口には出さなかったけど、旦那の怒鳴り声や物が壊れる音、近所には聞こえてたはずだ。
それでも、顔に目立った痣がなければ、化粧で隠して勇気と外に出た。
私が引きこもっていたら、勇気が見るはずの世界を閉ざしてしまうからね。
凄く恥ずかしかったけど、全く普通の家庭の主婦みたいな顔して。
旦那が暴力亭主なんて知りませんわ、みたいな顔をして。
旦那もあれから、少し大人しくなった。
勇気の世話をしている時は、文句は言うが暴れなくなった。
その代わり、私に妙に甘えることがあり、気持ち悪かった。
この時のことを今考えると、愛情に飢えていた息子がキッカケを掴んで、母親に甘えてきたような感じだった気がする。
一度、混乳だった勇気にミルクではなく母乳を与えてるとき、おっぱいをジーッと見ながら
『うまいのかな?』
と旦那がつぶやいたことがあった。
その日の夜は、赤ちゃんプレイをやらされた。
デカい顔で母乳を飲み、乳首に噛みついた。
そして、お尻ナップで毛の生えた玉や竿を丁寧に拭かされた。
勇気が飲むはずの母乳。
勇気のためのお尻ナップ。
いま思い出しても吐き気がする。
しかしその時は、小さな頃に受けるべき愛情を受けないと、人間は歪になるんだとも思い、なんだか泣けた。
あんなに暴力を受けてるのに、旦那を哀れな人間だと思ったのだ。
この同情とも愛情ともつかない気持ちに気づいてから、旦那を教育し直そうと考えるようになった。
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