1.悲痛の音色を纏う音楽家

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  「僕は急ぎ過ぎたのか…」     彼は幼い頃より周囲からその才を認められて来た。     「ああ,百年の時を過ごしても,まだ森の幼子である松林よ…」     どんなに美しく咲き誇る花もやがては枯れる。いつまでも,枯れることなく咲き続ける花などこの世にはない。     「僕はお前が羨ましい…」     自分の才能が認められて,周囲から称賛されて,彼はそれが嬉しかった。     「僕は子どもの頃から,この音楽でみんなを幸せな気持ちすることができた。僕もそれが嬉しかった,この上なく幸せだった…」       自分で書いた楽譜が,どこか余所の国の,全く知らない言葉で書かれたもののようだった。     「なのになぜ…」     五線の上の音符が,憎くて仕方なかった。     「こんなことなら才能なんかいらなかった!」     男は両手で顔を覆い,その場に泣き崩れた。     「人から称えられる才能が何なんだ!」     男は松の根本にまとめて置いてあった楽譜を感情に任せて蹴散らした。     「こんなにもすぐに枯れてしまう才能なんか,才能でも何でもないじゃないか!」     男の周囲に散らばった,美しい命の曲を持った楽譜が,何かを男に訴えかけているようだった。  
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