黒煙

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「そう言う春江は?」 珍しく微笑みを浮かべ雪は聞いてきた。 春江は暫く宙を眺めてから苦笑を浮かべて口を開いた。 「私は、もう慕う相手なんかいないよ」 春江のその言葉に雪は身を震わせた。 「春江、すみません…私……」 俯く雪の頭を数回撫でる。 本当の主従なら赦されないが、雪と春江にとって主従という鎖は無いに等しい。 「大丈夫。私はお雪様を守るくのいち忍び頭だから」 春江は思い返していた。 あの時の断末魔を。 そして、敵に解れた愛しき男を殺したあの瞬間を。 春江は契りを結んでいた相手つまり恋人を殺したのだ。 敵になった彼を他の奴に殺されるぐらいなら自身が殺る。 そう高虎に申し上げたのだ。 高虎も苦渋ながらも了解の意を示してくれた。 だからその手で討ち取った。 「春江……」 雪の弱々しい声で春江は回想から引き戻された。 「お雪様?」 先程まで読んでいた書物を放り雪は春江にしがみ付いていた。 「私……怖い。見ず知らずの殿方に嫁ぐのが怖いッ……」 直接な求婚は減ったが、高虎を通じての雪への求婚は幾ら断ろうが増える一方だった。 そんな顔すら知らない相手からの求婚は雪にとって恐怖でしか無かった。 「大丈夫。貴女に求婚してしつこい輩は徳川殿でも私が斬るから」 微かに震える雪の身体を優しく抱き締める。 すると安心したのか、雪は春江の腕の中で穏やかな寝息をたて始めた。 「貴女だけには――愛しい男を喪う辛さを味わって欲しく無いんだよ、私は」 春江は雪を抱いたまま呆然と呟いていた。
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