第一話 椎葉

10/19
前へ
/35ページ
次へ
それから暫く経った霜月三日。 「夜分遅くに申し訳ありませぬ」 皇子の屋敷にある男が訪ねてきた。 「左大臣蘇我赤兄でございます」 「左大臣のそなたがわざわざ私などの所に訪ねてくるとは、どうかしたのか?」 赤兄は周りをぐるりと見回すと、声を落とした。 「早速ですが、人払いを」 皇子は首を捻ったが、言われた通りに他の者を退室させた。 「一体、どうしたというのだ?」 「貴方様に皇位に就いていただきたいのです」 赤兄は事情を簡潔に述べた。 「嫌だ。皇位は継ぎたくない……」 「貴方様でなくてはならないのです。貴方は先帝の皇子。皇太子様とは違い、直系ですぞ。元はと言えば、貴方様こそ帝に相応しい御方なのです」 「嫌だ……」 「お願いにございます」 「嫌だと言うておる。天皇など真っ平だ」 そうだ、父上は天皇になったが故に亡くなった。 皇位になど就かねば、今も生きていたやもしれぬというに……。 それに──。 「これでも、ですか?こ──」 「どんな理由があろうとも、私は皇位には就かぬぞ。大体、皇太子様がおられるというに──」 それに、父上の遺言もある。 父上は皇太子様の即位を望んでいた。 「皇太子様と帝の政治に皆がたいそう苦しんでいたとしても、ですか?」
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加