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「あ。先に謝っておきます。血の気が多いのは昔のままでして……蹴ってしまいました」
一瞬言葉に詰まったが、気持ちが分からなくも無く、私は何も言わなかった。
「構わないわ。それだけいつも心配してくれて、ありがとう」
絵理子に驚かせられた。せい君もまさか礼を言われるとは思っても見なかったのだろう。
また頭を下げると、私に目を向けた。
「結論です。先程、時間の問題といったように、僕と会わなければ保護されていた事でしょう。美央と別れた後に。晴輝君は記憶を失っていました」
自分の目が、見開いていくのを感じた。
「記憶?あの子は記憶が無いの?せい君それは……」
「記憶喪失です。正しくは分かりませんが。知識はまだらな様子でしたが、まともと言っていいでしょう。
決定的に忘れていた部分は。自分の事、過去、現在、環境、全て」
理解が出来ない。せい君は何を言っている?
「外傷や肉体的が事由の様子ではありませんでした。背中は僕がした事です。美央と別れた後、そう遠く無い間に起こったようです」
耳は正常だ。聴こえている。ただ、意味が理解出来ない。話は続く。
「最初に聞かされたら、僕も直ぐには信じられなかったと思います。家の話を出したら、発作の状態で倒れそうになりました」
過呼吸か痙攣か咄嗟に判断も出来ず、息を詰まらせたと分かったのは、ヒッヒッと息が吸え無い様子に気付いた後だったと。
緊急措置が最優先と頭に駆け巡った。声が聞こえている。痙攣では無い。脱力呼吸方を繰り返し教え、腹部を圧迫。今更に背中を叩き、ゆっくり落ち着いた。
「ありがとう、せい君……晴輝を助けてくれて、ありがとう……」
絵理子の涙声。
私には理解出来なかった。
誰が信じられる?
絵理子も、せい君も。
騙されているのだ。あまりに深い誤解から、逃げ出した息子に。
「緊急性は現在、低いでしょう。一時的な可能性もあります。一晩、様子を見て診察を受けた方がいいかと思います、出来れば」
「せい君。晴輝と会わせて」
絵理子は言葉を遮るように強い口調で、彼の言葉を止めた。
それは、これ以上の介入を拒否するようだった。
「……わかりました。僕も美央も協力は惜しまないので、何か力になれる事があれば、お知らせ下さい」
最後にせい君が何を言いたかったのか、私には分からなかった。それよりも、息子を全く信じる事など出来なかったのだから。
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