序章 胡蝶の通り名

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「首を持って帰って来い、だなんて…。随分と面倒なこと頼んでくれたわね。何をするつもり?」 女は腕を組み、抑揚の無い声で武市に訊ねた。 武市は嬉しそうに首を見つめながら答えた。 「見せしめさ。雁切河原に晒してやろうと思ってね」 「あ、そ」 聞いておいて、女は大して興味が無さそうだった。 武市は壊れ物を扱うように、首を丁寧に風呂敷に包み直した。 「嗚呼、そうそう。吉田の旦那から遺言」 「遺言?なんだ?」 「“思い通りになると思うな”ですって」 女の言葉に、武市は小さく笑みを浮かべただけであった。 女も女で、無表情である。 武市は懐に手を入れた。 「約束通り、受け取ってくれ」 女の前に置かれたのは、幾つもの束の小判。 女は小判を数え、懐にしまった。 「確かに受け取ったわ。これで依頼は終了よ。それじゃ、旦那。さよなら」 女は襖へと歩き出した。 「また何かあったら頼むぜ」 「報酬次第ね」 女は笑うこともなく武市を一瞥して、去っていった。 武市は女が出ていった襖を見つめ、呟いた。 「恐ろしい女だな。サク…」 武市の頭の上―…つまり屋根の上。 そこに居た女、いや、サクに、武市の呟きはしっかりと聞こえていた。 「本当に恐ろしいのは…」 言いかけて、サクは口をつぐんだ。 月を見つめ、しかしすぐに目を伏せた。 そして、夜の闇へと姿をくらましたのだった。
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