6人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
痛み
本当は僕も好きだった。
とは言えなかった。それではいかにも軽薄に思えたし伝わりっこないと感じたからだ。
高校を卒業して2年後、僕と葵は偶然、同じ電車に乗り合わせた。先に気付いたのはむこう。
「新庄くん?」
葵は無造作に隣に座った僕に声をかけた。
「高校のとき同級生だった葵、葵悠子、覚えてない?」
もちろん覚えていた。僕たちはそんなに時間のたっていない昔話を、まるで綱渡りでもするかのように探り探り話し始めた。
「俺、傘を持つのが嫌いで雨ん中いつも葵の傘を探してた」
「雨の日はちょっとワクワクしてたかな。傘の下で新庄くんの言葉がすごく優しくて」
「葵の傘は見つけやすいんだ。黄色のヒマワリか何かの柄で」
「パンジーよ。まだ持ってるわ」
「美術の時間ずっと隣だったね。貝がらを彫るのに葵が彫刻刀を忘れてさ。それも毎回」
「持ってなかったの」
葵はうそぶいて下を向いた。中町の駅を過ぎてにわかに乗客が少なくなる。僕は取りつくろうように続けた。
「それに葵、話に夢中で彫りすぎて俺が直してあげたけど小さーいのになっちゃって」
「それはもう捨てたわ」
「そうか」
「ねえ」神妙な面持ちで葵は言った。
「あのとき私『女の子からの告白ってどう思う』って聞いたよね。そしたら『俺が告白するから待ってて欲しい』って…
なのに次の週のバレンタインでバレー部の女の子に告白されて付き合うなんて」
あわせた瞳が潤んでいる。
「帰りの電車で一緒だったけど葵、なにも言わなかったし」
「言えなかったのよ。なにか話そうとすると涙が止まらなくて」
「コンタクトだから目にゴミが入ったって」
「泣いてたの」うめくように叫んだ葵の目から涙がこぼれ落ちた。
「あのときは本当に泣いてたの。新庄くんにはウソを見抜いて欲しかった。ほかのウソなら全部お見通しだったのに、どうして?」
葵は学校中の噂になるぐらいモテる女の子だった。僕はなんでもないような顔で接していたが、正直なところたぶん自信がなかったのだと思う。
僕の降りる駅がきて「送って行こうか」と気づかった。
「カレシが迎えに来てるから」と葵は断った。
「そうか」と装って僕は電車を降りた。
振り返って、じっと僕を見つめる葵の目を見て僕はハッとした。あのときと何も変わっていない。葵は本当に泣いていた。その瞳にいまだに自信のない僕の姿が映った。
まだ時間は流れてなどいなかったんだ。
最初のコメントを投稿しよう!