第7章 ウェスト・ロンディアの鐘

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  晴れた砂塵の向こうには、ひとりの老兵が立っていた。 ケントがジェネシスにいた頃には、居なかった顔である。オールバックにした銀の髪、右目には黒い眼帯を巻き、手にはひと振りのサーベルが、無造作に握られている。 「たった独りでこれだけの兵士を葬るとは、その齢で大したものだ」 さく、さくと、老兵が白砂を踏む。サーベルを構えもせず、腰を沈めるでもなく、まるで散歩でもするような足取りで、この死地を歩く。 「軍の未来を担う天才か、不幸な生い立ちの傭兵か、どちらにせよ、楽な人生では無かっただろう……」 しかし、その鋭い眼光はひたとケントの目を見据え、刃物の如く意識を貫く。全身が釘でも打ち付けられたように硬直する。 (動いた瞬間、殺される……) あまりに無防備に見えるその姿には、ひと欠片の隙も無かった。大剣を構えた瞬間、いや、足を踏み出した瞬間、ひょっとすると指先を動かした瞬間、その僅かな隙を突いて鋭い刃が急所へ差し込まれる絶望的な未来が、何度も何度も頭の中で繰り返された。 圧倒的実力を持つ、老兵の余裕。巨大な魔獣は獲物など追わず、口を開けて待っていれば良いのだ。哀れな戦士が恐怖に耐え兼ね、口の中に飛び込んで来るのを。 「だが、戦争は無意味だ。戦う事しかできぬ貴様がこれまで舐めてきたであろう辛酸が報われる事など、未来永劫ありはしない。戦いとは、そう言うものだ」 (何、だって……?) しかしその言葉で、ケントの胸の内に熱が灯った。未来永劫、報われない。それはジェネシスの子供兵士、『DOOL#29』の事である。 「違う……!」 ケント・ルナジェノスはもう、自由なのだ。そして、この自由を与えてくれた少女、アンズ・ウメミヤを助け出すために、戦う道を選んだのだ。彼女のために選んだ道が、無意味である筈が無い。 「何が違う。戦いは戦いを呼び、兵士である限りいずれ戦いに死ぬ。早いか、遅いかだけだ。命を懸けて守ったものでさえ、戦いの中にあれば簡単消えてしまう」 「違う……!!」 早いか、遅いか。それが重要なのだ。仲間と出会うのが早ければ、消えてしまうのが遅ければ、それだけ沢山の大切なものが生まれ、それを慈しむ事ができるのだ。それが消えてしまわないように守るのだ。守るために、戦うのだ。 「ふむ……」  
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