始まり

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信号が赤から青へと戻り、何故か一緒に停止していた思考と共に歩行を再開する。 帰巣本能なのだろうか? 考え事をしながらも足は無意識に自宅との距離を縮め続ける。 考え事の内容は引き続き"生きる"ことについて。 果たして"生きる"ことに意味はあるのだろうか? 俺の考えは否、 "生きる"ことに意味なんてない。 "生物"は子孫を残し、命を繋ぐ。 この為だけに生きている。 "生きる"意味があるのだとしたら、せいぜいこの程度。 "生きる"意味などないとしておきながら、こんなこと思うのもなんだが、 "人間"は他の"生物"とは全く違う。 "人間"は思考することができる至高の"生物"である。 上手くかけてみたつもりだが、完全に失敗のようだ。 "人間"が"生きる"のと "生物"が"生きる"のは全然違う。 "生きる"意味など考える思考能力も持たない"生物"。 考える思考能力を持つが故に"生きる"という言葉の意味そのものが根本的に違う"人間"。 なんとも滑稽。 結局"生きる"意味なんて存在しない。 これが俺の考え。 矛盾や綻びだらけの俺の持論。 矛盾や綻びのない哲学的な考えなんてないような気もするが今は関係ないだろう。 思春期特有なのかそれとも俺自身の性質なのか分からないが、どちらにしろ青臭くくだらない考え。 その時、制服のポケットから軽い振動を感じた。 思考を中断され少々イラッときたが、よくよく考えてみたら思考はキリの良いところで終わって(行き詰まって)いた。 その身を震わせることで俺にメールの着信を知らせてくれた携帯電話をポケットから取り出す。 マナーモードを解除し忘れていたため、友人曰く一昔の軽快なJポップが流れることはなかったようだ。 携帯電話を開き、メールを見るために他に触る人もいないので意味のないパスワードを入力する。
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