千空の場合 2

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 つたない彼女の言葉を要約すると、こうである。  たとえばの話、命に関わるような大怪我をした野性の肉食獣がいたとしよう。  その命を独善で助けた事によって、獣は以後多くの動物を食す事になり、獣が生き続ける為に多くの命が失われるのである。  食中毒に倒れた彼を助ける事は、負傷した野性の獣を助ける事と同義。  外来の自分達が、独善によって安易に介入すべきではない──それが、赤髪の少女の意見だった。  少年がどれだけ言葉巧みに説得しようと、そして少女にそれを論破するだけの語彙力が無くとも、彼女は頑なに自らの考えを守り通す。  二人が睨み合う中、少しだけあたしに“力”が流れ込んだような気がしたが、それはすぐに霧散してしまい、あたしの実体化には至らない。  倒れている男の容態から一刻の猶予もないと判断したため、少年の方が折れたのだ。  結果として、男を治癒する手段を持たない少年は、男を担いで人の住む町を目指す事となった。  彼は決して体力がある方ではなかったが、それでも男にあまり負担を掛けぬよう気を使いながら、一歩一歩進んでいく。  少年が力尽きて倒れたのは、それから二時間後の事。  その間、少女は手出しも口出しもする事なく、黙々と少年の後ろをついて歩いていただけであった。  険しい表情を浮かべたまま。  ────────────  結果的に、町の住人に救助された男はすぐに治療を受け、辛うじて一命を取り留める事となる。  病院に放り込まれ、解毒処理を施され、栄養剤の点滴を受けていた彼は、目を覚ますなりこう呟いたという。 「ああ……腹減ったなあ」  そのまま医者の制止も聞かずに病院を抜け出した彼は、結局いつもの定位置に落ち着いたのだった。  名も無き食事処の最奥部の席、つまりお手洗いの前の席。  性懲りも無く、彼は件の毒魚の刺身をマイ箸で突いていた。
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