大樹の場合 4

11/33
前へ
/135ページ
次へ
 片足を上げたままでは体勢が安定しないのは、一目瞭然である。  だから、この踵落としも俺には当然読めていた。  俺はしゃがんだ体勢のまま、距離をとり過ぎない程度に後退すれば良い。  うさぎ跳びで跳ねる要領で、軽く後ろに跳ぶだけだ。  大丈夫。  羽野郎の動きは予想以上に鋭く速いけれど、赤髪ほどのキレは無く、しかも全て俺が誘導した通りに動いている。  大丈夫。  俺は予め決めておいたパターン通りに動き回るだけで、時間を稼ぐ事が出来る。  大丈夫。  その間に赤髪は、俺の作戦を見抜きかねない由加をここから引き離してくれる。  大丈夫。  後は羽野郎が短気を起こして隙を見せるまで、俺は耐え抜けば良い。  大丈夫。  理屈では分かっている。  大丈夫大丈夫大丈夫。  なのに── 「っと……うわっ!?」  どさり、という音。  そして背中への鈍い衝撃。  俺の視界には、夕日の赤と無の灰色が割り込んできていた。  その左右を黒い建物の頭の並びが縁取っている。  夕暮れの空だった。  見間違いようもなく、それは裏路地から見上げた空だった。  気がつけば、俺は無防備にひっくり返って空を見上げていたのだ。  灰色に侵蝕された夕焼けは、あまり綺麗ではなかった。  …………。  着地に失敗した!  無理な体勢で、後ろなんかに跳ぶからだ!  そう気付いた時には後の祭である。  理屈では分かっていても、理屈には穴が無くても、体がついていかない可能性までは頭が回らなかったのだ。  焦りばかりが先行し、思うように体が動かない。  それは、どうしようもない程の隙──こんなミスは、完全に失念していた!! 「どうした、もうダンスは終わりかね?」  羽野郎が小馬鹿にした顔で、俺を見下ろしている。  冷や汗が頬を伝うばかりで、やはり俺の体は思うように動かない。 「どうやら、俺にはそんなお上品な嗜みは肌に合わなねーらしいや」 「そのようだな、だが安心するが良い。“再生”した暁には、我が教えてやっても構わないがね」  奴の余裕のある嘲りが不測の事態による混乱と相まって、さらに俺の心を掻き乱す。
/135ページ

最初のコメントを投稿しよう!

62人が本棚に入れています
本棚に追加