大樹の場合 4

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 そうしなかったのは、奴が全く空を飛べないからではないはずだ。 「ニワトリってさ、鳥目なんだってな。大部分の鳥は、鳥目じゃないっていうじゃないか。それに、ニワトリは短距離なら“飛び上がる”事は出来るけど、長距離の飛行は出来ないよな?」  俺の両手に押さえられた羽野郎──いや、トリ野郎の“左手”は、既にがくがくと震えていた。  精神的には意外と打たれ弱いようで、もはや俺の首に向かって伸ばされた“左手”にはほとんど力が入っていない。  チャンスだろうか?  いや、本当の意味で仕掛けるにはまだ早い。  そう判断した俺は、今はとにかく痺れかけた腕の回復を待ちながら、ただ口撃(コウゲキ)あるのみだった。 「もう秋だからな……日が暮れるのが早かったのは幸いだったよ。鳥目のあんたが薄暗い裏路地に潜む俺達を、たとえ空からでも見付けられるはずが無かったのさ」  しかも、奴がニワトリに由来するかどうかは別として、由加を抱えて飛ぶ程の力が無い事は明白だった。  奴の目が暗所をはっきりと見る事が出来ずとも、由加を抱えて空を飛び、彼女に上空から俺達を探させれば問題無いのだ。  しかし羽野郎はそうしなかった──いや、出来なかったのだ。  自身は夜目が利かず、しかも飛行能力も貧弱だから。  ならば皇樹によって暗い裏路地内で俺を取り逃がした事は、追跡が不可能なトリ野郎にとっては致命的な損害となったはず。  だから、俺と再会したさっき、奴はあれほどまでに余裕ぶっていたのだ。  むしろ、不自然な程に。  内心、奴は歓喜したはずだ。  一度見失ってしまった俺が、完全に夜になってしまう前に自分から出向いて来た事に、安堵すら覚えたはずだ。 「……だから?」  奴の“左手”に、再び力が篭もる。  何がそうさせるのか。  それは、怒りか。  それは、悔しさか。  でも、どちらも俺の方が上なのだ。  由加を──いや、全てを失った俺の方が。  だから俺は、圧倒的不利な状況において、それでも常に奴の心理を圧迫し続けるのだ。  余裕ぶって!  見下すように!
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